2005年04月03日

ローマ法王死去

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が亡くなった。
謹んで、哀悼の意を表します。

わたくしは宗教を持っていないので、どの宗教の聖職者についても、ごくわずかの一般知識しかない。
その生活がどういうものか、どうしたらなれるのかなど、知らないことだらけ。
俗世間に生きるわたくしは、聖職者って衣食住の心配をしなくていいなぁとか、いろいろなところに行けていいなぁとか、人々に尊敬されていいなぁとか思っちゃったりする時もある (;^_^A

「人のために生きる」とか「祈りの生活」って、どんななんだろう?
とりわけ、ひとつの宗教の頂点に立つ人って大変なんだろうな。
たくさんの信者さんからいろいろな苦しみを持ち込まれるであろう聖職者がどうやってストレス解消しているのか、またはストレスは感じないのか、自分の存在意義をどこに見出しているのかなど、ちょっと知りたかったりする。

彼らが醸し出す超然とした雰囲気や慈愛に満ちた行動は、どこから来るのだろう。
何がそうさせるのだろう。

数人の患者さんに寄りかかられただけで「重い。タルい。カンベンしてくれ〜」と思うことがあるわたくしは人間的にまだ未熟なのか、それとも聖職者と言われる人々が凄すぎるだけなのか。
いろいろと考えさせられる。

うまく表現できないのだけれど、わたくしは長い間、聖職者の感情は昇華されていて、一般人が持つ喜怒哀楽はないのではないかと、漠然と考えていた。
彼らが抱く感情には「愛」だけしかなのではないかと。
ここからが本当にうまく書けない部分なのですが、いい意味で「すべてが自己犠牲 = 自分はない」「人間として枯れ切った」人をイメージしていたんですよね〜。

ダライ・ラマ14世が来日した時、テレビのインタビューを見て、激しく魅了された。
わたくしは、「人の話に興味はない」みたいな部分があって、トーク番組はあまり見ないけれど、ダライ・ラマ法王の話はずっと聞いていたいと思った。
聖職者として以前に、まず人間として、とても魅力的だった。
いっぺんでファンになった。

自伝も素晴らしかった。



彼には生き生きとした感情があり、ユーモア精神があり、自己主張もあり、そして愛がある。
自分をしっかり持っているからこそ、人のために生きて祈れるのではないかと思った。
アイデンティティーの確立って、本当に大切なことだと思う。

逝去されたヨハネ・パウロ2世も自伝を出している。



今度ぜひ読んでみたいと思っています。


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posted by ぴょんぴょん at 17:18 | TrackBack(1) | ニュースから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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ローマ法王の死
Excerpt:  ▲ヨハネ・パウロ2世(本名カロル・ボイチワ)12歳の時の肖像          &nbs..
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Tracked: 2005-04-03 18:32
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